2013年04月27日

初めての針治療



4月26日(金)の事を。

この日は母のことは、何もしていません。

でも考えたら、お寺さんに頼むことがあったのを忘れていました。
位牌を新しく作るけれど、父の名前の書いてある今までの位牌は
処分するから、このことをご住職に伝えなければ。
本を読むと、こういう場合は菩提寺に納め、魂抜き(たまぬき)の法事を
行うのだそうだ。



午前中は2週間ぶりに日本画教室へ。
先週は告別式の翌日なので、行く気にならず休んでしまったので。

午後は、久し振りに髪のカット。
1月に行ってからその後行ってなかったので、だいぶのびてました。

そしてこれも数日ぶりの整骨院へ。
この日は初めて針治療を受けました。
ぎっくり腰で痛めた腰の部分と、その周辺に6本。
そして、両方のふくらはぎにも針を。

針の先生が言うには、針を刺してから抜いたあとがぱっと赤くなるので、これは良いのだそうです。
針治療は人によって合う、合わないがあるそうですが、私には合うかも、とのこと。
針治療を行うと、その直後は体がだるくなったりするから翌日は仕事の無いときがいいんだそうだ。

針をうってもらう前は、待合室のイスに座った姿勢で前屈みに
なって自分の足を触ろうとすると、腰が痛かったのに治療の後は
それが楽にできました。
外を歩いていても、足がとても軽い。


日曜日から仕事復帰。
明日、土曜日は出かけたいのですが、母の書類の整理ができてないから
こっちを優先すべきか。
庭の木々にもそろそろ殺虫剤をかけたい。
木々の生長は待ってくれないから、こっちが先かな。
全部やるなら、早起きしないと無理。
やることはなぜかいつも山ほどあります。
そして今も熟睡できないせいか、いくら寝ても寝足りない感じです。

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2013年02月01日

指のことで病院へ行く


今日、昨日は連休。

昨日は、家のネット通信関係で工事の人が来ることになっていました。
すでにこの日に来る予定だったので、慌てなかったけれど家の中が
ごちゃごちゃのままなのが、恥ずかしい。
ちっとはかたづけましたが。

古いタンス片付けたいけれど、なかなかこれができない。
昔、母からこれは母が結婚するときにおじいちゃんが買ってくれた、という
桐のタンスです。
でも今はあちこち虫食いの穴がありボロボロで、きっと安物だな(^_^;)

今家の一部屋に小さい洋だんす、母の古い和だんす、そして昔母が買いこんで
しまった大きな洋だんすがあるのです。
六畳間に三つのタンス。
どう考えても変でしょう?
今の目標はこの和だんすを処分すること。
処分できたら、ここにピアノ(安い電気ピアノです)を置きたい。
小学生の頃6年間習っていました。
ピアノが弾きたい。
じつは既に組み立て式の電気ピアノを買ってあるのですが、梱包が解けないままなのです。


そして今日。

以前から指がじんじんするな・・・と、思っていたのですが今年に入ってから
左指の痛みとこわばりが尋常でない。
特に左中指は、朝目がさめると硬く固まったみたいに曲がってる。
介護福祉士国家試験の勉強のために色々な病気の症状を
読んでいたら、関節リュウマチの症状とぴったり一致するではないですか。

ブログを読んでくださってる皆さんのアドバイスもあり、今日は
やっと近所の総合病院へ行ってきました。

今日は血液検査のみ。
リュウマチか、或いは頸椎の問題から痛みが来ることもあるとか。
結果は来週。
今日は痛みと炎症を抑える薬を2種類処方してもらいました。
飲み薬のセレコックス錠、そして塗り薬のロキソニン。



話題変わりますが、今やっている投資について。
今週はたまたま持っていたヤフー株が急騰。
おかげで思いがけない利益確定できました。

ほんの少しの資金でFXも去年からはじめてますが、これはやはり難しい。
元本割れしてます。
まだまだ勉強が必要。
どうも私には株式投資の方があってるみたいです。

投資をやっていると書くと、なにとんでもないことやってるの、と言わん
ばかりにDMを送ってくる方がいるのでがっかりします。
投資は博打ではありませんよ。


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2012年08月01日

夏の小旅行と、施設の夏祭り

先週、金土日は休みをとってました。
そして昨日の火曜日、今日の水曜日もまた休みをとってます。
休んでばかりですが、夏休みなんて無い職場ですから、まあ良いことにしよう。


土曜日は、午前中東京国立近代美術館の展覧会を見てから、
午後は東京駅から新幹線に乗って新神戸へ。
神戸で行われる劇団維新派の公演を観るためです。
この劇団だけは、全国どこで公演をやろうと観に行くことに決めています。
夜公演を観てから、その夜はJR三ノ宮駅に近いホテルで一泊。

翌日日曜日は、午前中は六甲オルゴール・ミュージアムへ。
ここは去年の10月に行って以来。
あのときはアーティストM氏の個展を見るためでしたが、わざわざ行ったかい
あって、とても可愛らしい作品とご縁ができました。

午後は維新派の千秋楽公演を観てから、すぐ帰りました。


日曜日は、母が入居してる施設の夏祭り。
職場でもあるのですが、神戸へ行くため休みを取ってしまいました。
少々後ろめたさもあったのですが、このために行かれなかった、と
思うのもいやでしたから。

月曜日出社してから、母の浴衣姿の写真を見せてもらいました。

考えたら母の浴衣姿なんて初めてみました。
いままで一度も母が浴衣来てるところなんて見たことありません。
母がまだ若い頃、職場の社員旅行の宴会で浴衣を着てる写真が
ありますが、これでしか見たこと無いです。

ここ数日の母は食事量が減ってます。
8割食べられたら、良い方です。
ミキサー食、水にはとろみ剤でとろみをつけてますが、それでも
今の母には飲み込みのが難しいです。
この前も私が「ゴックンしようね」と声をかけたら「のめないよ」と
めずらしく返事が返ってきました。
返事があるのはうれしいのですが、内容はちょっと悲しいです。


今、家では赤紫蘇とつけていた南高梅を天日干ししてます。
今日が二日目。
なかなかいい出来具合のようです。

梅干し 2012年8月1日 天日干し二日目



昨日、今日、休みを取ったのは受講している放送大学の単位認定試験日だからです。
今日はこれから試験を受けに行ってきます。


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2012年06月13日

せっせとコピーとり

今日は、仕事を終えて家に帰って庭をみたら梅の木の大きな枝が落ちていました。
庭に植えたから40数年たっていたはずの梅。

去年だか、一昨年だったか庭木の剪定を御願いした植木屋さんから、
この梅の木もう内部が枯れている、と言われていた梅でした。
梅は強い木で、皮一枚でも生きているとのこと。

Yの字に枝が伸びていたのですが、Yの片方の枝が落ちていました。
枝の断面をみるとカスカスに乾燥していて、確かにすっかり枯れている。
それでも枯れたはずの枝には細い枝が出ていて、青い葉がついていました。
さらにY字のもう片方の枝には、ちゃんと実までなっているのです。
梅は強い!

昨日、今日と仕事を終えてから家裁に提出する書類のコピーとり。
領収書、銀行の通帳など。
昨日は1時間もコピー取ってたら頭痛くなってきたので止める。
でも、家裁の言ってきた締め切り日には間に合いそうです。

母のことも特に変化無しです。

地元の松戸市美術展覧会に描いた絵を1点出品しました。
額装に13000円、出品料2000円。
何をするにもお金がかかります(x_x)
出せば展示してもらえます。
賞が取れればまだいいのですが、なにも無いのは残念。
期待してなかった、と言ったらウソになります。
毎週、日本画教室に行っていますが教室の方々はあちこちの展覧会で入選の
経験者が多いので、何もない私は少々肩身がせまい。
12日〜24日まで、松戸市文化ホール&アートスポット松戸の2会場で開催中です。
私の作品は松戸市文化ホールで展示されていました。
タイトルは「黒部・室堂にて」です。



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2012年04月16日

今年も庭は花ざかり 

今日は仕事が休み。
4月5月は心と体のケアのため、休みを多めに取るつもりです。

ブログを書こうと思いつつ、つい書きそびれます。
昨日は仕事を終えてから、庭の手入れを少々。
草木は伸びるし、これからあたたかくなるとどんどん成長が早くなるので
手入れは怠るとあとでやっかいなことになります。

梅の花が咲き、それに続いてどんどんいろいろな花が咲いてくれてます。
杏、ソルダム、ユスラウメ、ユキヤナギ、ピンクの八重椿、赤い椿、チューリップなどなど。

これはボケの花。
きれいですが鋭い刺があるので、手入れはやっかいです。

2012年4月16日 庭のぼけ


菜の花・・・と、言いたいけど菜の花ではなかったような。
なんだったろ?

2012年4月16日 菜の花?


2012年4月16日 菜の花?2


今月中には庭中に殺虫剤の散布もしないと、後で毛虫が大発生して大あわてすることになります(*_*)

先週からの母のことを。
極度の貧血状態だったので鉄分の薬・・・・正確には増血剤の「インクレミンシロップ」を
毎食前の水とまぜてのませていますが、かなり効果がでたようです。

これを飲み始めてからなかなか治らなかった左肘の褥瘡がみるみる良くなってきました。
ヒジにぽっかり穴が開いてるようになっていたのが、スーッとふさがってきたのです。
もう治らないのでは、と思っていたからうれしいです。
今は治ってますが、ヒジは曲がったままなので褥瘡予防にパットをあてています。

先日往診に来てくださった主治医もびっくりされていました。
当初は4,5月をむかえるのが難しいと思われていた母ですが、もう少しのびそうです。
しかし褥瘡が治ったと思ったら、こんどは右腕に皮膚剥離(T.T)
スタッフがベッドから車いすに移乗させようとしたさい、気がついたら剥離してたとか。
私よりベテランスタッフなのですが、今の母はとても皮膚が弱いです。
これも早く治ると良いのですが。

今の母の状態なら、私も5月に予定してる旅行も安心していかれそう(^^)
今月末から好きなアーティストさんの個展が金沢で開催されるので、金沢へ行きますが
ついでに能登半島を回ってくるつもりです。
調べると能登半島の交通はかなり不便であることが分かりました。
バスも1,2時間に1本しかなかったりなのです。

そして自宅のプリンターが不調。
約10年使っているから、よくもったと言うべきか。
買うなら無線LANで、スキャナー搭載型にしたいのですがまた出費が増える(T.T)

posted by みどり at 11:01| Comment(0) | 自己紹介をかねての経過説明 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

さらに家裁に問い合わせ

急に暖かくなり、ついこの前まで寒さで震えていたのがウソのよう。
庭の木々も花が咲き出してます。
梅が咲いたと思ったら、杏の花、ソルダムの花と次々に咲き出してます。
一気に春が押し寄せてきた感じ。

沈丁花
2012年4月1日 沈丁花の花


杏の花
2012年4月3日 杏の花


ソルダムの花
2012年4月4日 ソルダムの花


結論が出てからと思ったのですが、先日から続いている母の生命保険加入のこと
途中経過報告です。

実は一度、家裁から電話が来て生命保険加入は認められないと言ってきました。
以下がその理由です。

まず、ペイオフ対策として銀行の他にお金を生命保険に使うと言うが
生命保険会社も倒産する可能性がある。
その時には掛け金が戻らないから、認められない。

母が他の施設へ移転する可能性もあるから、その費用がかかる可能性もある。
その時には、途中解約もあり得るから元本割れとなるから認められない。。

これが家裁の言ってきた、認められない理由でした。
なんかもうそんなことあり得ないだろう、と言いたくなる理由なのですが、連絡して
きたのは家裁の書記官なのでこちらがいくら言っても、自分で判断がくだせない相手。
こちらがあれこれ言うと「裁判官が言ってることですから」なのですから。
腹が立ったけれど、とりあえず「わかりました」と言って電話を切る。

しかし、これでは納得いきません。
銀行側も同様。
ここで引き下がっては元も子もない。
再度、家裁へお伺いの書類を送ることにしました。

ポイントとして書いたことは以下のことです。

銀行が倒産したとき保障してくれるのは預貯金がいくらあっても1000万円までだか、
生命保険会社の場合はたとえ倒産しても掛け金の90%まで保障してくれるから
資産を銀行に全額預けるより遙かに安全であること。

母が他の施設へ移転してさらにお金がかかる事については、今いる施設は看取り介護まで
してくれるところであり、さらには私自身が勤務している施設であるので他の施設への
移転はまったく考えていない。

万が一、移転する事態になっても生命保険の掛け金を前回問い合わせしたときより
金額を減らしたので、途中解約しなくても充分対応できる。
従って元本割れは無い。

以上のことを文書にして、再度家裁に送りました。
(母の総資産、生命保険の掛け金がいくらなのかを書けば皆さんにも話がわかり
やすいはずですが、ここに書くのはひかえます)


さてどうなるか。

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2011年05月20日

柚の花が満開

110518ha.jpg


今日は仕事が休み。
これから日本画教室に行きます。
その後、今日が初日の八王子市夢美術館の「ムットーニからくりシアター展」へ。
さらに職場の方に誘われたので、練馬文化センターでの錦織健さんのコンサートへ。
忙しいけど、これが元気の源。

庭で柚の花が満開。
木の下に立つと、ふんわりほのかに甘い良い香りがします。
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2009年10月19日

スクーリング開始

ホームヘルパー2級の記述式の課題も完成させた。
明日(もう今日だけど)からスクーリング。
短期集中の講座なので月曜から金曜まで毎日朝から夕方まで。
来週水曜日28日には終了。
その後、実習。

先月仕事を辞めてから、実質就職活動は休止。
気持ちの良い、さわやかな季節にゆっくりできてよかったと、思います。
勉強も思ったより、はかどりました。

本音を言えば、まだゆっくりしていたい。
あわてても良いこと何もありませんでしたから。

このさい、ゆっくりやっていきます。
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2008年02月24日

自己紹介を兼ねての経過説明 その6

2月の庭の花


今日2月24日、午前中にグループホームにいる母のところへ行くため家を出たので
すが、強風のため最寄りのJR武蔵野線は案の定、運手見合わせ。
先日、市役所から母の「国民健康保険被保険者証」が郵送されていたのでこれを
グループホームに持っていかなければならないのですが、バックにいれてるのに
いつもお渡ししてくるのを忘れています。
遠回りしてでも行こうかと思ったのですが、他の線もダイヤは乱れているし時間
かけて行ったら、時間かけて戻ってこなければならないので家に戻ってきました。

で、今日は家の中の片付けをすませたのでこれから事務仕事(母の確定申告と
後見事務報告書のことです)に没頭しようと思います。

その前に、庭を見たらまだまだ寒いと思ったのに、小さな花(大きさ2,3センチくらい)が
さいてるしよく見ればもう水仙やチューリップの芽がでてるではありませんか!

水仙の芽


春はもうすぐ!
もたもたしてると、どんどん時間は過ぎていきます。


自己紹介を兼ねての経過説明 その6です。

2005年12月20日(火)

私も母も6時50分頃起床。母はおとなしいが、私を見るなり「あんた誰」と言った。
朝起きてからいきなりこんな事言うのは多分この時が初めて。
部屋まで持って来ていただいた朝食をとるが、母はほとんど食べない。

9時過ぎに市役所の介護福祉課より電話が入る。ケアマネジメントのKさんからも介護福祉課のWさんへ連絡が行ったらしい。
前日にお会いしたWさんが10時過ぎに来てくれて、今後のことを相談する。
私一人でこの時の母は手におえる状態ではなかったのでWさんからはグループホームへの入居を勧められる。
体験入所も出来るとのことで、いくつかピックアップしていただいたので、翌日Wさんと
一緒にその内の二ヶ所回って見るお約束をする。

平行して入院も可能な精神科のある大きなA病院へ(入院を前提に)診察受けにことも検討。

この日の母は前日同様かなりの興奮状態。
私が着替えやお金を取りに家に戻るというと、またまた人殺しがいると大騒ぎ。
人殺しがいるから私が危ないとか、そういうわけではないのです。
とりあえず、母をなんとか納得させるために職場に行ってくるから、というと少し納得
してれたようなので少しおとなしくなったところを見計らって泊まっていた「サンセット
○○」をでる。

家に戻ってからは、私の職場へも連絡を入れ上司に隠すことなく事情を説明し数日休ませていただくお願いをする。
(もちろん前日も職場には電話をしていますが、あのめまぐるしい一日のどの時点で電話を
入れたか覚えていません。ちなみにこの頃はまだ携帯電話は持っていませんでした)

家を出てから、前日診ていただいた病院へ向かいました。
前日のお支払いを済ませていなかったからです。
最寄り駅からはかなり離れているし、診療時間も終わる間際だったので駅前からタクシーに乗る。
病院に着くと広い待合室にはもう誰もいませんでしたが偶然、前夜診ていただいた
ドクターとお会いしました。
「お母さんの様子はどうですか?」と声をかけて下さったのが私にはうれしい。
お支払いを済ませ、母のいる「サンセット○○」へ戻る。

前日は一日中泣いてばかりの私でしたが、この日は泣いているヒマはなかったきがします。

この日一番ホッとしたのは病院へ向かう為に乗った、年配の男性ドライバーの運転するタクシーの中にいたときでした。
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2008年02月12日

自己紹介をかねての経過説明 その5

メール投稿です。

これからは母の様子が急変し、グループホームに入居するまでのでき事を日にちごとに書きとめて行く予定です。

2005年の12月17日(土)と12月18日(日)を何とか過ごす。
土日は私も仕事が休みなのでなんとかなりました。

困ったのは12月19日(月)。仕事に出ないとならないが、様子の急変した母を家に一人残して大丈夫だろうか。
朝から母の様子がいつもと違う。
私が話しかけても私の方を見ないようにして「無視無視…」と呟いています。
朝食を目の前に出しても、手もつけない。
私の事が自分の娘に見えてないようです。

私が出かけようとすると、その時を待っていたかのように私を押し退けて外に飛び出して行こうとしました。
もちろん止めようとしましたが、母の力は思いのほか強い。
「人殺し!人殺しがいるよー!」叫びながら公道を走って行くのを、家から20メールほど離れた所でやっと捕まえる。

母は大声でわめきっぱなし。こんなに大騒ぎしてるのに近所の人は誰一人出て来ない。
後で分かりましたが、皆さん聞こえて無いわけではなかったんです。
後日複数の近所の方から「朝声が聞こえてたけどどうしたの?」と聞かれましたから。…こういうもんですか?!

たまたま朝の散歩途中で通りかかった近所の方が一人いました。
「警察を呼べぇ」と叫び続ける母を落ち着かせる為にも、警察に来てもらった方がいいと判断。
110番に連絡してもらう事をこの方にお願いしました。
パトカーが来てとりあえず私と母は最寄りの松戸東警察へ。
事情がわかった警察の方から市役所の介護支援課へ行って相談する事を勧められる。
母の様子もだいぶ落ち着いて来ました。
母とタクシーで市役所へ向かう。

在宅介護支援センターのWさんと話をするが、ケアマネジメントの方との相談も必要とのこと。
Wさんが連絡をとってくれて、数駅先にある「○○○○サービス」のKさんにすぐお会いする約束をし、母と一緒に向かう。

「○○○○サービス」近くの最寄り駅に着いてから、改札を出ようとしたところでまた母の様子が爆発。
「警察を呼べ」とわめき続ける母を動かす事ができない。
何人の方が何事かと声をかけてくださるが、自分の手に負えないと分かると逃げるように行ってしまう。
仕方の無いことだと分かります。
でも…責任感の無い親切は辛い仕打によく似てる。

駅員さんが事務所に入れてくれたので、Kさんに電話する。
間もなくKさんが来てくれました。
母の様子を見て「よくここまで来られましたね」と驚かれる。
ケアプランどころではなくなり、先ずはこの日これからどうするかが問題になって来ました。
家には帰らない、と言い張る母の為にKさんがショートスティのできる介護施設「サンセット○○」を紹介してくれ、更に松戸東警察(生活安全課)の方を呼んでくれて一緒に覆面パトカーで「サンセット○○」へ向かう。
わめく母をなんとかなだめすかすようにして、車に乗せるまでが一苦労だったのですが。

「サンセット○○」に着いたのが午後2時頃。
Kさんは人との約束があるそうで出かけられる。
母の興奮おさまらず。水も食事もまったくとらないのに、叫び続けてます。
施設の方と警察の方から母を精神科の病院で診察してもらった方がいいのでは?と言う話になる。
しかしもう夕方、通常の診察時間は過ぎている。

どうしたらいいかまったくわからないまま午後6時頃(施設に着いてから6時まで警察の方がいてくれたのかどうか、記憶がありません。
多分いてくれたと思います)Kさんが戻って来てくれた。
やはり直ぐ精神科の診察を受けましょう、と言う話になる。
救急車で行くより警察経由の方が受け入れてもらいやすい、とのこと。
Kさんが昼間の警察の方と話しをしてくれ、私、母、Kさん、警察の方と一緒にパトカーで地元では有名な大きな精神科の病院へ向かう。

診てくれた当直の若い男性医師はどこか俳優の生瀬勝久に似てる。診察の間も母は声を振り絞るようにわめいている。
何と言ってたろうか?二年ちょっとたった今、なぜか忘れてしまいました。

ベッドが空いてないので直ぐ入院はできないとのこと。
何も食べようとしない母にもとりやすいように液体状の薬が処方去れる。
興奮を押さえる薬で、飲み物に2、3滴入れればよいとのこと。
かなり強い薬らしい。
保険証もお金も持って無いので、受付で翌日お支払いに行く約束をする。

その後「サンセット○○」に戻る。
母の興奮状態がひどいので、私が側に付き添っていることを条件に泊まれることになりました。
部屋はホテルのシングルのような雰囲気です。
後で知りますがここは介護施設としてはお値段の高いかなり高級な所でした。

警察の方から、今後のことで市役所の介護支援課のOさんに連絡を入れた、明日先方から連絡が入るだろうけど念の為こちらからも電話してくださいと言われる。

警察の方、Kさん帰られる。

ずいぶんいろんな事があった一日でした。
いろんな方に助けられた一日。
私の一日はまだ終わっていない。
なかなか母はおとなしくなってくれない。
ベッドに寝かせようとしても、逃げ出そうとするのをやっとの思いで押さえる。
母は年寄りとは思えない馬鹿力を出すのです。
この時母に引っ掛かれた手の甲のギズ痕はかなり長いこと残りました。

夜10時か11時頃施設の方がミルクティーを持って来てくれて、これは母もようやく飲んでくれました。
これがこの日母が口にした最初のもの。
そのうち母もやっとトーンダウン。でもやはり逃げ出そうとするから、私が母を羽交い締めにするような感じで押さえないとダメ。

しかし私も母も二人ともかなり疲れているはず。やがて一つのベッドに倒れ込みおりかさなるような感じでバテて寝てしまったのでした。

今思い出しても凄い1日でした。
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2008年02月04日

自己紹介をかねての経過説明 その4


このブログで一番肝心な事を書きそびれていました。
母の惚けが進み夜中の徘徊が始まり、暴れて私一人の手におえなくなり、結局グループホームにお世話をお願いするまでのいきさつを。
(ながくなりますので、数回に分けての投稿になります)


現在までの経過説明
その4

(手帳に記録していたので正確な日時が分かります)
2005年12月。
それまでは以前のことが思いだせなかったり、私のことを忘れたり、オシッコが間に合わなかったりと言った程度のことだったのですが更に難しい事態が加わって来ました。

家の中にお化けや人殺しがいる、と言い出すようになりました。
「人殺しがいる」と言ってはタンスの足元に何か見えるのか、しきりに何か探しまわる様子をみせる。
それまでは仕事を終えて帰り、食事の支度して母と食べ、母にお風呂に入ってもらい、その後寝てもらえば私はゆっくり出来た。
ゆっくり出来るのは何時も夜中の12時過ぎでしたが、でも一息入れられてた。
それが出来なくなりました。
私のそばに来ては「人殺しがいる」「お化けがいる」と探しまわるのですから。

母は12月17日(金)の夜中から12月18日(土)未明にかけて私が寝てる間に、いつの間にか外に行ってしまってました。
真冬で寒いのに上着も着ないで、裸足で。
熟睡していた私はまったく気が付かず、朝になって保護された母がお巡りさんと帰って来てはじめて目が覚めたのです。
ついに徘徊が始まりました。
お巡りさんは慣れたもので、また徘徊して保護された時の為にに母の顔写真を撮って行きました。

12月18日(土)夜。
母は110番(警察)に「人殺しがいる」と何度も電話してしまう。
仕方なく電話機はずして隠しておくと「どこ隠した!」とさがし回る。
夜、寝かそうとしても何度も窓から出て行こうとするので捕まえるのが大変。

私も眠りたい。家を飛び出さないよう、母の手を握って寝ようとするが、これはちょっと無理。
もうダメ。私一人の手におえなくなって来ました。

続きはまた後ほど。
posted by みどり at 00:07| Comment(3) | 自己紹介をかねての経過説明 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

現在までの経過説明 その3


現在までの経過説明 その3(2005年10月頃迄〜)

書きそびれていたことです。

2005年9月に実家に戻ってから、母の様子があまりのもおかしいので病院へも
行きました。
認知症なら、今ならいい薬もあるから病院へ行った方がいい、と聞いたので一度
母を連れて病院へ行くことにしました。10月に入ってからだと思います。
母は以前から高血圧で、近所の病院に通院していたはず。
ですが、その病院は私は嫌いだったので、その時は行くのは避けました。
嫌いな訳は、30年前父がこの病院で亡くなっているからです。
しかも見たて間違いで。
肝炎治療で通院していたのに、肝臓ガン(しかも末期)に進行していたのを、この病院
の医師は見落としていたのです。

そんなわけで、地元では大きなもう一件の総合病院へ行ってみることにしました。
しかし受付で聞いてみると、その病院では認知症の専門的な治療はしてないとのこと。
がっかりしましたが、とりあえず見ていただくことにしました。

診察してくれたのは、医師になりたてのような若い男性医師。
「認知症は治らない」と笑い顔で言うのが腹が立つ。
じっと我慢して「今は認知症にきく薬もあると聞いたのですが・・・」と、言うと「そう言われてる薬はあるから出すけど、きくとは思えないけど」と、これまた笑い顔で言う。
はっきり言ってひっぱたいてやりたくなりました。
診察と言っても、医師は私と話をしただけで母のことは何一つ診察しないままで
出してくれた飲み薬の名前は、商品名「アリセプト」。

この病院はだめだ、と病院内の公衆電話のところにおいてある電話帳を調べると
母が以前から行ってるはずの総合病院には「老人科」があると書いてある。
老人科というのが、どういうことを見てくれる科なのかわかりませんでしたが、その場
で電話をして母の症状のことなどを話すと「検査をしてから判断しましょう」とのこと。
その言葉に安心を感じて、すぐにその病院へ行くことにしました。

その病院へ行って診察の順番を待ってると、看護婦さんが「しばらく来なかったねぇ」
と、母に声をかけてくれました。
高血圧のことで通院しているとばかり思っていたのに、母はもう一年近く病院へ行って
なかったことが判明しました。
つまりその頃から、すっかり惚けていたと言うことですね。

診察に当たってくれたのは、以前から母を見てくれていた医師らしい。
認知症のこと、それに対する薬のことなど詳しく説明してくれました。
出してくれたのは最初に行った病院と同じ「アリセプト」でしたが、きちんと説明して
くれるのがうれしい。
薬の成分も最初は、成分の半分のモノを飲んで体を慣らしてから通常の量の
成分の薬にしていくとの説明もしてくれました。
効くとは限らないけど、うまくいば認知症の進み方を遅らせることができるらしい。
薬と行っても認知症が治るわけではないのです。
そんな薬もない。遅かれ早かれ認知症は進でしまうのです。
進行が遅れるならそれにこしたことはありません。

その医師から「認知症が進むとかなり(周囲の者にとって)きびしいですよ」と言われ
ましたが、最初の病院の医師の言葉よりよほどこちらのことを考えて言ってくれた
言葉に聞こえました。



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2006年06月06日

現在までの経過説明 その2 

現在までの経過説明 その2 (2005年10月頃迄〜)

2005年10月頃から、母は自分の娘(私)のことがわからなくなっていました。

この頃の私と母の一日

朝、6時頃起きて朝御飯の支度。母と一緒のご飯代わりのうどんを食べる。
「わーすごい」と喜んで食べてくれる母。
食べ終わって私は職場へ向かう。昼間の母がとても心配だけど、この頃母は自分で
すぐそばのスーパーへ買い物はできていました。
昼ご飯用のおにぎりやパンは、買いに行くことはできるので、それくらいはやって
もらっていいだろうと思って私は、昼食を用意することはしませんでした。

しかしどうもガスを使ってお湯を沸かす、ということができなくなっていたようなので
電気湯沸かしポットを買いました。
でも何度母に使い方を説明しても、覚えてもらえない。
結局使ってもらえない。
せっかく熱いお湯がすぐ使えるのに、何にもならないのがもったいない。

夜は、私が9時頃に仕事から帰ってから食事の支度。
以前から映画や演劇が好きだったので、どうしても観に行きたいときは行ってました
ので、その場合は10時過ぎに帰宅でした。
支度をしていると母は「なんか手伝うから言って」とそばにやってくる。
狭い台所で2人いると動きがとれないので、はじめは「何にもしなくていいから向こうで
まってて」と、追い返すようにしてましたが、何かしようという意欲をつぶしてはいけ
ないだろうと気がつき、茶碗や箸をもっていってもらうことにしました。
夜の食事がとれるのはたいてい10時頃。

食事が終わり、後片付けしながらお風呂を沸かす。母には部屋をほうきで掃除して
もらう。そうするともうお風呂が沸くので、入ってもらう。
この頃は母は自分でお風呂に入れましたが、自分で髪を洗うことができないので
だったので、私が洗ってあげる。
布団を敷いてあげて、横になるとすぐ眠ってしまう様子。
この後で私がお風呂に入って、やれやれと一日の仕事が終わるのが12時過ぎ。

毎日こんな状態で、「こんなヒマのない生活いったいいつまで続くんだろう・・・」と
思っていました。
母は、食事やお風呂の支度してあげると「ありがと」と言ってくれて、おとなしくて
素直でし、トイレも自分で行ってくれる。この点では楽でした。

事情が急展開したのは12月に入ってからです。
このことはまた、後ほどに。
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2006年04月19日

現在までの経過説明 その1

現在までの経過説明 その1( 〜2005年10月頃迄)

このブログを書き出すに当たって、知らない方が見に来てくださると思うので
母のことと私の自己紹介をしておきます。

母、大正15年8月生。現在80歳。
私、昭和33年9月生。現在47歳。きょうだい無し。
父は30年前に54歳で他界。

なので私とは母の二人暮らし。
しかし、私が30代になってからは母とのケンカが絶えず、私は家を出てアパートで
一人暮らしをはじめました。
と、いっても実家からは徒歩約20分しかはなれていないところで。

私も昼間はフルタイムで会社勤めをしてるので土日には実家に行き、一緒に夕食をとる
・・・・という生活を十数年してました。
3年ほど前からは、さすがに高齢となった母が心配でほぼ毎日夜は実家へ行き
一緒に夕食をとっていました。
毎日のように、母からは実家に戻ってこいと言われていました。
母はその頃は元気で毎日、遠方まで買い物で出歩いていました。

☆2004年の1月頃。
母のことが、おかしいな?と思うようになったのはこの頃から。
夕飯はいつも母が私が帰る時間を見計らって、支度をしてくれてたのですが
この頃から「おかず、何を作ったらいいのかわからないよ」と、言うようになったのです。
思えばこれが母の痴呆の始まりだったのです。
相変わらず母からは戻ってこいと言われましたが、何しろ私もアパートの荷物が多く
なってましたし、母も整理整頓が出来ない人なので実家も山のような荷物だらけ。
双方の片づけが出来ない限り、引っ越しは不可能と思ってたので躊躇してました。

☆2004年夏頃。
それまでは実家とアパートが近いこともあり、私の留守中にちょくちょく母はアパートに
来ては買ってきた物(主に食べ物)を置いていってくれてました。
もちろん来るのは私のいない昼間。
ところが或る夏の日、朝の5時半頃にアパートに来たのです。
完全に夕方と勘違いして。

この頃になると、郵便受けにある郵便物を、部屋の中に入れるつもりで取り出すものの
変なところに置いてしまうので郵便物が行方不明になること多発。
つい私も怒って「こっちにはもうこなくていいよ」と言ってしまうと、寂しそうに「わかったよ」
と言いました。そして、そのとうりアパートには来なくなりました。
もちろん私はそれまでどおり、仕事帰りには実家へ寄っていました。

☆2005年頭。
私が夜、実家へほぼ毎日寄って一緒に夕飯を食べる生活は続いていました。
私は映画・演劇を見るのが好きなので平日夜見にくことが多いのですが、どんなに
遅くなっても実家には寄るようにしていました。

夜は母はご飯を炊き、おかずは私が作るようになっていました。
戻ってこいと言い続けた母は、ある日ぽつりと「荷物の片づけが大変だから
戻ってこなくていいよ」とあっさりいいました。
その時は私、内心ホッとしたのですが少しするとコレはほんとにそろそろ戻らねば
いけない・・・と思うようになりました。
母、どうもこの頃から失禁が多くなってきたようです。

☆2005年、春。
母の様子、ますますおかしい。
私の帰りが遅いと、家の外の道路に出て待っているのですがその姿がエプロンを
してるのに下が下着のパンツだけなのです。スカートもズボンもはかず。
本人に問いただすと、どうもエプロンしていて自分では見ていないのでいいつもりに
なっているようすなのです。
失禁も多いようす。パンツをすぐ濡らしては履き替えてるようで風呂場にまだ洗って
いないパンツがそれこそ山になっているのに気が付きました。
しかし、母との会話は普通に出来ていました。
気になる母の昼間の食事ですが、自分でご飯は炊けるし、すぐ近所のスーパーマーケット
に食べる物を買いに行けるのでこの時点では私はあまり心配をしてませんでした。

母は家の中の片づけをしようとしないので、私がようやく片づけをするようになりました。
なにしろ母は山のようにいろいろな物を買い込んでいて、どの部屋も荷物だらけ。
引っ越してきたくても、私の荷物を入れる隙間がまるでなくなっていたのです。


☆2005年6,7月頃。
夜遅くなるから、と実家へ電話を入れてからって実家に行くと鍵かかかって入れない。
どこかに行ってしまったか?電話したのに。
部屋の明かりはついてるので、いるらしい。
耳が遠くなってきたようなので呼んでも聞こえないらしい。
別の部屋の窓の鍵が開いていたので、そこから入ると母一人でスーパーで買ってきた
お弁当を食べていました。私が電話したことも、遅くなるけど寄ることも忘れて。
この姿を見たときはほんとにゾッとしました。
これは急いで実家にもどらなければいけない!
やっと心底、そう思いました。


☆2005年8月。
いよいよアパートを出て実家に戻るつもりでしたが、荷物の整理ができず
引っ越しは一ヶ月延ばすことにしました。

☆2005年9月。
やっと実家に戻りました。
入るだろうと思った私の荷物は実家に入りきらず、近所のレンタルスペース(約2畳の
広さ)を借りることにして、はみ出した荷物はそちらに置くことにしました。
夕飯、母はそれまでご飯は炊いてくれていました。
実家では炊飯器が無く、お釜でたいていたのですがこの頃から母はご飯を炊くことが
出来なくなりました。

この頃の母の食事。
朝は私と朝食。
昼はスーパーでおにぎりやパンを買って食る。
夜は私が帰ってから、私が支度をして一緒に。
しかし私の帰りが遅いので食事はいつも夜10時過ぎでした。

母には大人用のパンツタイプのオムツをはいてもらうことにしました。
下着のようにはけるので、母も素直にはいてくれました。


2005年9月末か10月頭頃。
仕事を終え、帰宅して母から「お宅どなた?」と言われてゾッとしました。
いきなり帰るのはまずいのだろうか。
帰宅する前に、最寄りの駅から「これから帰るからね」と電話を入れることにしました。
30分ほどして家に帰ると母曰く「さっき電話くれたのお宅?」
どうやら、私のことを自分の娘である、という認識が無くなったらしい。
私のことは、自分の面倒を見てくれてる同居人というふうに思ってる様子でした。

posted by みどり at 02:56| Comment(0) | 自己紹介をかねての経過説明 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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