2013年05月01日

新宿から修善寺へ


一日家にいると、時間のたつのが早いです。
ふと気が付くとその前の行動から一時間はたっている。



4月29日(月)は母が亡くなってから、初めての遠出。
修善寺から、さらに先にある湯ヶ島まで日帰りで行ってきました。
好きなアーティストM氏の展覧会があるので行ってきました。

じつはその前、29日の午前0時から始まる人形劇俳優Tさんのミッドナイト・
イベント(実際はオールナイト)に参加していました。
その方のファンのためのmixiコミュニティの管理人を私がしています。
朝5時終了予定が、終わったのは午前6時半。
本当ならご挨拶もしたかったけど、その後の都合もありすぐに会場を後にしました。
Tさんの人形劇公演は、今年になって何度も観に行っているのに
いつまでたってもアート鑑賞ブログに感想がかけず、申し訳ない。

その後すぐに公演場所の新宿・初台から、品川駅に向かい品川駅から三島駅まで新幹線乗車。
その後、三島から修善寺駅へ。
修善寺からバスに乗って湯ヶ島下車。
天城ミュージアムでの展覧会を鑑賞。
会場に来ていたM氏ご本人にもお会いできた。

せっかく伊豆半島へ行くのだから、どこかに一泊しようか・・・とも思った
のですが、他に見たい観光地もなく日帰りにしました。

修善寺は10数年前、一度行ったことがあります。
その時は修善寺ハリストス正教会の内部にある、イコン画家・山下りんの絵画が
観たくて行ったのでした。
建物もきれいな所でした。


家にいるときはブログを書いていたりすることが多いのですが
その時はTVをつけっぱなしが多い。
母が亡くなってから、とくにこの頃は映画「潜水服は蝶の夢を見る」のDVDをつけっぱなし。
(リンク先は映画公式サイトです)
このフランス映画は映像が詩的で音楽が静かできれい。

さて29日は、ミュージアムに朝10時から4時半頃までいて、その後バスに乗って修善寺駅へ。
帰りは在来線をつかってゆっくりのんびり5時間かけて帰ってきました。
ほとんど不眠状態の一日でしたが、あまり疲れなかったのは不思議。
その代わり、夜は腰を痛めてから初めて朝までぐっすり熟睡できました。

posted by みどり at 02:20| Comment(0) | アート徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月28日

葬儀にまつわる費用&仕事復帰

庭では四季咲きの薔薇も咲き出しました。
これは昨日の様子です。

2013年4月27日 庭の薔薇


今日4月28日はやっと仕事復帰しました。
母のいた部屋のことが気になるのでは・・・と、思ったのですが、忙しさに
流されほとんど気にする間もありませんでした。

そして木曜日午前中に速達で宮城県登米市の役所に送った書類。
金曜には着いているはず。
その後、問い合わせの電話も来ないので問題ないようです。



昨日4月27日(土)の事を。


午前中は、洗濯をしてから色々と考える。
今日やること、今後やることなどを考えながら、身の回りの片付けなどしていると
時間があっという間に過ぎる。
一見、時間の見えるこの時間も、頭の中の整理整頓をやっている時間
なのだと思います。


古い位牌の処分について、菩提寺に電話を入れて聞いてみる。
納骨の日に、新しい位牌を持っていきますが、この時に一緒に持って行けば
後でおたきあげをしますとのことでした。

ところで今までまったく知らなかったのですが、菩提寺の浄土真宗では本来は
位牌は使わないのだそうです。
仏壇に過去帳を置いておくのが本来の作法。
でも我が家ではそんなことしてなかった。
位牌も希望があれば使って良い、という考えであるようです、我が菩提寺は。

納骨の日は、私一人で菩提寺にいきますがご住職へのお布施がまた結構かかるf(^―^;
電話口の方は、ご住職でない方なのでいろいろ聞きやすい。
次回のお布施の金額も教えていただけました。
何十年もお墓を管理していただいている、と考えればそれ相応の金額なのかなと思います。



それにしても葬儀から四十九日、納骨と次から次へとお金がかかりますね。


今までと、これからのことを整理すると我が家ではこうなります。

葬儀代で約60万円。
ご住職への通夜&告別式でのお布施が60万円、お車代・お食事代で2万円。
香炉代約6万円。
位牌代約7万円。
入居していた施設の退去に伴う修繕費約30万円。
四十九日、納骨時のお布施が10万円。
石材店に墓石を開けてもらうため1万円。
墓石に名前をぼってもらうため3万5千円前後。
その時に持っていくお花、お供物。
最後に香典返し費用。

ザッと計算しても合計で約180万円!



日曜日は仕事にでようと決めましたが、その前に行きたい展覧会があったので行ってきました。
町田市立国際版画美術館での「空想の建築 ピラネージから野又穫へ」展です。
もともとは、4月10日頃から「16日が休暇だから観に行こう」と思っていました。
行くつもりが、行きそびれた。
15日に母が亡くなったから。
そんな気持ちを引きずったまま、母のいた施設に仕事に出るのはいやだったのでいってきました。
その後は、町田からも近い八王子市夢美術館にも行ってきました。

まだ腰は少し痛いのですが、いつもの私の行動スタイルに戻ってきました。




posted by みどり at 20:48| Comment(0) | 母の葬儀後の手続き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月27日

初めての針治療



4月26日(金)の事を。

この日は母のことは、何もしていません。

でも考えたら、お寺さんに頼むことがあったのを忘れていました。
位牌を新しく作るけれど、父の名前の書いてある今までの位牌は
処分するから、このことをご住職に伝えなければ。
本を読むと、こういう場合は菩提寺に納め、魂抜き(たまぬき)の法事を
行うのだそうだ。



午前中は2週間ぶりに日本画教室へ。
先週は告別式の翌日なので、行く気にならず休んでしまったので。

午後は、久し振りに髪のカット。
1月に行ってからその後行ってなかったので、だいぶのびてました。

そしてこれも数日ぶりの整骨院へ。
この日は初めて針治療を受けました。
ぎっくり腰で痛めた腰の部分と、その周辺に6本。
そして、両方のふくらはぎにも針を。

針の先生が言うには、針を刺してから抜いたあとがぱっと赤くなるので、これは良いのだそうです。
針治療は人によって合う、合わないがあるそうですが、私には合うかも、とのこと。
針治療を行うと、その直後は体がだるくなったりするから翌日は仕事の無いときがいいんだそうだ。

針をうってもらう前は、待合室のイスに座った姿勢で前屈みに
なって自分の足を触ろうとすると、腰が痛かったのに治療の後は
それが楽にできました。
外を歩いていても、足がとても軽い。


日曜日から仕事復帰。
明日、土曜日は出かけたいのですが、母の書類の整理ができてないから
こっちを優先すべきか。
庭の木々にもそろそろ殺虫剤をかけたい。
木々の生長は待ってくれないから、こっちが先かな。
全部やるなら、早起きしないと無理。
やることはなぜかいつも山ほどあります。
そして今も熟睡できないせいか、いくら寝ても寝足りない感じです。

posted by みどり at 01:14| Comment(0) | 自己紹介をかねての経過説明 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月26日

宮城県登米市に電話を


4月25日(木)にやったことを。

母の最初の結婚相手の戸籍のあるのが、宮城県登米市。
ここへ母の原戸籍の請求を郵便でしようとおもい、まずは市のサイトから
申込書をダウンロードして印刷。

必要な種類が、原戸籍謄本とか除籍謄本とかあるけど何を申し込んだら
いいのか分からない。
郵送で申込みの場合、手数料は定額小為替を同封するので複数だと
当然料金がちがってくる。

悩むより、聞いてみよう。
朝9時になるのをまって、問い合わせ先である登米市の市民生活課に電話をし、
母が亡くなり、手続きの為に戸籍(の書類)が総べて必要になった旨を話してみました。

すると係の方が言うには、申込書に今回の事情を書いてさらに「必要な
書類1セット」と書いておいてくれればよい、とのこと。
書類は1通でむとおもうので、手数料は1通分の750円の定額小為替を
同封して送ってください、とのことでした。
もし複数になる場合は、電話をくれることになりました。

早速、申込用紙に必要事項を記入し、封筒に私の戸籍謄本や健康保険証の
コピー、定額小為替、返信用封筒など必要なものを同封し速達で送りました。

順調に進むなら来週中には返信が来るかな。


午後は、母のいた施設へ行って最後の片付けを。
部屋にかけていた絵、ビニール袋にまとめた荷物を施設の台車をかりて
一度に家に持ち帰りました。
(徒歩5分の距離ですから)
長らく休ませてもらっているので、スタッフの皆さんへお菓子ももって置いてゆく。


土曜日には、母のいた部屋に新しい入居者さんが入ります。
まったくの偶然ですが、母が最初に結婚した人と同じ名字の方。
鈴木、田中、みたいなよくある名字ではないのに。
不思議です。

そして家庭裁判所から後見終了の為の書類が送られてきました。
こちらから送るのは、この書類に必要事項を記入し、死亡診断書の
コピーをつけるだけ。
前回提出した後見事務報告から後の収支報告も出すのでは?と思ったら
いらないのだそうだ。
今までさんざん細かく、収支報告を出してきたのに、最後の報告はしなくて良いの?
なんか拍子抜け、というかこんなもんなの?って感じです。
私の場合だけ?他の方はどうなのか分かりませんが。

まあ、財産については今後は税務署に報告を出さなければならないから管轄は
税務署、家裁のやることは終わりということなのでしょうね。



しかし、今週になってから出かけることばかりで家の中が
ちっとも片付きません。

さて、仕事の方ですが、日曜日に復帰することにしました。
でも今月はこの日だけ。
あまり長く休むのも、行くのが嫌になるだけのような気もして行くことにしました。


そうそう、書きそびれましたが数日前、夢の中で母を見ました。
寝たきりの母ではなく、普通に起きて歩いている母。
私となにかを話しているけど、何を話していたのか忘れました。
表情はややぼんやり。
母の顔は亡くなる頃の顔ではなく、今より10年くらい若い顔。
葬儀の時の写真の顔が、夢にでたみたいです。
posted by みどり at 00:12| Comment(4) | 母の葬儀後の手続き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

亡くなった母の秘密

昨日(4月24日)は、まずは母のいた施設の部屋から荷物を
少し持ち帰る。
今週末には、もう新しい方がこの部屋に入居するそうだ。

その後、地元の市役所に行って戸籍謄本、住民票、私の印鑑証明書などを
発行してもらう。


今後、銀行での名義変更名などの手続きのため母の生まれてからの
ことが総べてのっている戸籍が必要とのことで、原戸籍(はらこせき)を発行してもらう。

本籍はここ千葉県松戸市に移してあるのですが、母が生まれたのは
東京都大田区なので、大田区での原戸籍も必要になるんだそうだ。

大田区役所はJR蒲田駅のすぐそば。
そこまでいくのは何でもないので、行くことにしました。
ここで原戸籍をもらえば、各銀行での手続きがすぐできるとおもったのですが・・・。
原戸籍1種だと思ったら2種類だしてもらうとになりました。
だから手数料は750円x2=1500円
(原戸籍謄本と除籍謄本になるのか?名称がよく分かりません)
係の方に事情を話して発行してもらいましたが、係の方が母が私の父と結婚する
まえに一度別の方と結婚してるので、そちらの原戸籍も必要になることを
教えてくれました。
母は両親の戸籍から一度抜けて、離婚後また両親の戸籍に戻っています。


すっかり忘れていました。
母はバツイチだったこと。

母も最初の結婚のことは、ほとんど話してくれてなかったのです。
昔、母から聞いていたのは結婚したけど約1年で分かれたこと。
母曰く「あのひと嘘つきだったんだもん」
これだけ。
どこの、どんな人なのか聞いたことがありませんでした。

今回、大田区役所で発行してもらった原戸籍を見て分かったのは
結婚相手は宮城県に戸籍のある人で氏名も初めて知りました。
母はこの人の戸籍に6月1日入籍。
その後、同年10月27日に離婚届け。
わずか4ヶ月で離婚。
なにがどうしたのか、もはや謎。

その6年後に私の父となる人と婚姻届が出ています。
婚姻届がでているのは私が生まれる9ヶ月前。

これは母から聞いたことがあるのですが、父と結婚した後ももし離婚
したら戸籍がよごれるから、ヤダと思ってすぐには届けをださなかったんだとか(^◇^;)

私が生まれることになったので、職場(結婚後も仕事をしていたので)の
上司から「もういいかげん婚姻届だしたら」と、言われて出したんだそうです。
いやまあ、母はすごいというか強いです。


で、話が戻りますが宮城県のどこに原戸籍を請求したらいいのか?
昔の手書きの戸籍謄本は読みづらいのですがよくみると相手の方の戸籍の住所は
「宮城県登米郡佐沼町」と(旧字で)書いてある。
調べてみると今は「宮城県登米市(とめし)」になっていると、分かりました。

さすがに宮城県までは行かれないので、これから郵便で請求することにします。
でも大田区でだしてもらう原戸籍が1通だとおもったら2通だったこともあり、
なにをどう請求したらいいのか?

でもこれが来ないことには、各銀行での手続きがまったくできません。
銀行への手続きは来週からになりそうです。
posted by みどり at 00:06| Comment(2) | 母の葬儀後の手続き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

市役所・税務署・法務局

2013年4月23日 庭の牡丹


庭の牡丹がきれいに咲きました。

昨日のことを。
朝、お隣の方の電話で目がさめる。
回覧板で母の訃報を知ったので、そのことの電話でした。
しかし私は回覧版、見てない。
どうもウチの訃報だから、ウチは飛ばされたらしい。
ご町内で、連絡があったのはこの方一人。
やっぱりそんなものか・・・と、ちょっと寂しいです。


母の葬儀は終わりましたが、全然落ちついた気がしません。
次から次とやることが出てきます。

仕事の立場がパートなので、4月いっぱい休ませてもらうことにしましたが
休みすぎているかな、という気持ちはあります。
他のスタッフに負担がかかるのも分かりますし。
しかも実は葬儀が終わってからすぐ「早めに職場出られないですか」と
聞かれたのは、つらいです。
葬儀の後の手続きがやまほどあるのに。
そして、当然ながら私は休んだ分、収入が無くなります。



親の葬儀で休みを取るのは普通、1週間でしょう。
葬儀のことだけだったら、一週間でいいだろうけど今の私は、その後の手続きも
この際一緒にやっておきたいと思い休ませてもらうことにしました。
実際にやりだしてみると葬儀の事より、後の様々な手続きの方がよっぽど
大変だと感じています。
施設の母の居室の片付けだって、まだ全部は済んでない。
1週間では全然足りない。

もっとも役所・銀行も休みの4月最後の日曜日は、出ようかと思いだしています。
日曜日は、仕事的にも平日よりやや楽(入浴介助・リネン交換がない)なので体慣らしのつもりで。
しかしこの後、仕事に戻るのもなんだか不安があります。
今までは職場(施設)に母がいるからこそ、仕事がきつくても頑張ってきましたが
母がいない今、やっていけるかどうか。



4月23日(火)やったことを。

母の成年後見人になっていたので、後見終了の手続きをするために
まずは千葉家庭裁判所松戸支所の担当書記官へ電話。
必要な書類を送ってくれることになりました。



母名義の口座のある銀行へ電話。
相続人は私一人なので、比較的手続きは難しくないらしい。

地元の銀行・京葉銀行、ゆうちょ銀行へそれぞれ電話して、手続きに必要な書類を聞く。

三井住友銀行へも電話。
手続きについて聞こうとしたら担当者から折り返し電話するとのことだったが、
30分たっても電話がこない。
他のところはこんなこと、すぐ教えてもらえたのに。
やっと電話の来た先方は、自分の名前もなのらず言い方も実に不快。
いったんは電話を切ったが、少し腹が立ったので再度電話して別の人が出た
ので事の詳細を伝える。
ここに書くのも気分が悪いので、詳しくは書きません。
この人に手続きに必要な書類を聞く。


葬儀会社に行って、墓石の写真を渡しておく。
香炉を新につくるので、そのための色の参考に、です。


市役所に行って、後期高齢者医療被保険者証の返却。
この際、葬儀費用の領収書&印鑑を持って行って手続きをすると
「葬祭費」がもらえるとのこと。
市町村によって金額が違うようですが、ここ松戸市は5万円。
私の口座に、後日振り込まれることになりました。


その後、今後の様々な手続きでどこから手をつけたらいいか。
市役所の中に簡単な相談を受け付けてくれるところがある、と聞いて
いたのでそちらに行ってみる。
相談員の方がざっと計算もしてくれましたが私の場合、相続税が数百万円かかりそうです。
今後の手続きの一覧表をもらう。


税務所があるので、そちらにも行ってみる。
手続きの書類をどっさりもらう。


法務局へも行く。
相談窓口があり相続登記の手続きのことを、教えてもらいました。
総べて自分でやっていこうとすると、4,5回は通うことになりそうです。
家に土地と家屋の「権利書」が無いことを伝えると、まだ時間があるから
それぞれの「登記済証」を発行してもらうことをすすめられ、早速窓口に行っておきました。


この日はこれまで。
これからの手続きで気になるところは、総べて連絡がとれたと思います。

明日はまずは役所に行って戸籍謄本等をそろえ、各銀行に行って手続きを
してくるつもりです。


posted by みどり at 01:14| Comment(4) | 母の葬儀後の手続き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月22日

母の年金受給停止の手続きなどを

生田宏司氏版画作品 「月見」1


生田宏司氏版画作品 「月見」2



母が亡くなってもう1週間。
もう2,3週間たったような気分です。

冒頭の画像は、施設の母の部屋の壁に掛けていた生田宏司氏の版画作品
「月見」です。
母が初めてグループホームに入ってからまもなく、見ていると心が和み
とても気に入ったので思い切って購入した作品です。
私が買ったアート作品の第1号でもあり、思い出深い作品です。



今日やったことを。

午前中、母の年金についての手続きを。
母は老齢年金と、企業年金の二つをもらっていたので、これらの
受給停止の手続きを。
それぞれの連絡先に電話をする。
手続きの為の書類が送られて来ることになりました。



その後、母のいた施設(=私の職場)に行って、昨日からの居室の片付けの続き。
母が着ていた服は捨てることにしてゴミ袋のビニール袋に入れて、1階にある
ゴミ置き場に持っていく。
ここでは、専門の処理業者が持っていって処分してくれます。
下着や薄手の生地のものは「シモフキ用」に使えるので倉庫に置く。

母が使っていた車いすは、昨日浴室で洗いました。
施設長が誰かに頼めば、と言ったけれど私もスタッフの一人で結局
仕事に復帰してから自分でやる羽目になりそうでしたから。

施設での作業で約2時間かかってしまう。


その後、市役所へ。

葬儀中はよく分かっていませんでしたが、葬儀は済んでいるから葬儀会社の
人が役所に母の死亡届は出しているわけですね。
そうでないと火葬の許可が出ませんから。


本やネットで検索すると、葬儀後の手続きでは真っ先に世帯主変更の手続きが必要
とあったので、役所に行って聞いてみるともう世帯主は母から私に変わっていました。

そうか家族が二人しかいないから自動的に私に変わるんですね。
本をよくよく見たら、ちゃんと書いてありました。
こんな事すら教えてもらわないと分からない。

介護保険被保険者証を返却。


後期高齢者医療保険証も返却・・・だけどこちらは必要な物を持っていくのを忘れていた。
というか出かける前の確認不足。
印鑑と、私(葬儀費用を払った人)の預金通帳、葬儀費用の領収書。
これらを用意して申請すれば、葬祭費が5万円支給されるのだとか。
もう夕方になっていたので明日、出直し。



その後は、都内の菩提寺に行って墓石の色と位置の確認。
写真も撮っておく。
葬儀会社に墓石の前に置く線香の台、香炉を頼むのでその為の確認です。
公園墓地ならきちんと整備されているでしょうが、お寺の中の霊園なので
せせこましく立て込んでいて、自分でも家の墓石の位置がうまく説明できないくらいです。

もう午後5時を過ぎていましたが、やっと駅前のお店に入ってラーメンで昼食。
その後、遊びに行ってしまう。


今日は、行動の時間配分をあまり考えてなかったので、効率が悪かったです。
家の中は今日も全然片付けができなかった。

ゆっくりゆっくり。
このブログの名前も「ピスタレピスタレ」でした。
posted by みどり at 23:19| Comment(0) | 母の葬儀後の手続き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

母の初七日

Elizabeth Leroy 作 New Morning


早いものでもう初七日。
実は友人からのメールを見るまで、そのことに気が付きませんでした。

冒頭の画像は、施設の母の部屋の壁に飾っていた小さな写真(11X11センチ)作品です。
Elizabeth Leroy 作 New Morning
さわやかで、明日への希望を感じさせる作品です。


今日した事を。

もちろん朝は母にお線香をあげる。

書き忘れましたが、葬儀が終わったら家にある仏壇の扉は四十九日まで
閉めておくようにと葬儀会社の方から教わりました。

ネット上を調べてみると諸説あるようですが、私は閉じておくことにしました。

今日は日曜日なので役所関係の事、以外のことをしました。

午前中は葬儀会社に葬儀費用の支払いに行く。
そして今後のことも教えてもらい、この会社に御願いすることにしました。

まずは位牌(いはい)。
母が以前、父が亡くなったとき作った位牌は二人分の名前がかける
ようにしたものでした。
物は良いらしいのですが、なにぶん年月がたちすぎて古くなっている。
これは新しく作り直すことにしました。
似たデザインの位牌に父と母の名前を書いてもらうことにしました。



つぎに香炉。
墓石の前で線香を置く台です。
「香炉(こうろ)」という名前だとは今回初めて知りました。
我が家の墓石の前にはあるのは、線香を横にして置く小さな家型の台です。
長年の風雨にさらされてすっかりボロボロになっているので、直したいな
と思っていたので、これを機会に新しくすることにしました。


納骨の際、墓石に名前を刻むけれど、これは菩提寺に石材店が
入っているかもしれないので、と葬儀会社からいわれたので
後で私が確認することに。
最終的には、菩提寺に石材店が入っていたのでお寺経由で
頼むことにしました。



午後は、菩提寺に電話をして今後のことを相談しました。
電話に出たのは先日来ていただいたご住職。

親戚も少ないので、納骨も私一人で伺いたいことをお伝えして相談。
母の場合、四十九日は6月2日。
一日前の6月1日に納骨を行うことになりました。
墓石に名前を刻むための石材店の方もこの時、来てくれるとのこと。

当日の私は、桐の箱(死体埋葬許可書も入ってる)に入った骨壺、
お花、新しく作った位牌、この日まで使っていた白木の位牌を
持っていくことになります。
一人なのに結構荷物が多い。

先日、ご住職にお渡ししたお布施のことも領収書をいただけるか
うかがったところ、郵送してくださることになりました。
これで一安心です。


町会長さんの所へ行き、回覧板でまわす母の「訃報」(昨日パソコンで
つくったもの)をお渡しする。


さらに母の入居していた施設(=私の職場)へ行く。
施設長がいたので、挨拶と今後の事の相談を。
母の利用した施設料はもちろん、退去するにあたって部屋の模様替え
というか修理代というか、補修費というか、これがかなりかかることが
分かりました。
約30万円くらい。
この金額は予想外です。
通常なら毎月の利用料にプラスして定額料払っていくものだったのですが、
母の場合それをしてなかったせいもあるのです。


その後、母のいた部屋の荷物整理。
着ていた服は捨てる。
タオルは施設でも入浴時に使ってもらえる。
持ってきていた羽毛の掛け布団、加湿器、車いすも施設に寄付。

居室に置いていた小さなタンスはどうしようか。
家に持って帰るか、それともスタッフで欲しい方がいたら
もらってもらうか。
これは今迷っています。

約3時間かかっても全部は終わらないけど、夜も8時になってしまったので
いったん家に帰ることにしました。

今日は家の中の片付けがまったくできませんでした。



明日からは役所の手続きに・・・と、思いますがどこから手をつけようか。
まだ迷い中です。
posted by みどり at 22:37| Comment(0) | 母の葬儀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

母の通夜&告別式の事を改めて


昨日、金曜日はいつもなら日本画教室に行くのですが、さすがに絵を
描く気持ちにはなれなくて休みました。
でも今日は母が亡くなってから、初めて自分のことで外出しました。

いつもの私なら、1週間のうちに演劇公演のひとつくらい観に行く
予定をいれているのに今週月曜日から金曜日まではなんの予定も
入れていませんでした。こういう事も珍しいのです。


葬儀関係の事で、今日やったのは少しだけ。
明日、葬儀会社に支払いに行くのでそのお金の用意。

ご近所に母のことをお知らせしなかった(なにしろご近所の皆さん母の顔は
約10年くらい見ていません)ので、この後どうしたらいいか
町会長さんに相談したら、月末に別のことで回覧板を回すから
その時に一緒に「訃報」をつければいいと、アドバイスしていただけました。
その用紙の見本をもらったので、私も自分なりの「訃報」をパソコンで
書いて仕上げる。


そして、今後のことでどこから手をつけて良いか分からず「葬儀・相続
手続き事典」という本を買いました。
読んでいると、葬儀の際のお布施もお寺に言えば普通は領収書(或いはそれに
代わる物)を出してもらえると知りました。
これは知りませんでした。
私の場合、母の成年後見人になっているから使途不明金があっては税務署に
後見事務報告をする際、困ります。

明日、菩提寺に聞いてみようと思います。
納骨の件でも相談したいので。





4月16日(火)通夜前日の事を。

朝、菩提寺に電話してご住職の都合を聞き、それを葬儀会社の担当者Hさんに伝える。
私の住む松戸市は火葬場が1カ所なので、そちらの都合はHさんが確認済み。

最終的に通夜は17日(水)の午後6時から。
告別式は18日(木)の12時半から、火葬場で荼毘にふすのが午後2時と決まりました。
会場は葬儀会社のホールで。
ここは自宅からも近くて徒歩で来られます。

従姉妹が一人、両日とも手伝いに来てくれる事になりました。

昔、父が亡くなった時は家で通夜をした記憶があるので、今回私も母の
そばにいたいと思いました。

自宅の通夜ならともかく、別の場所で通夜をやる場合、今時こういう人は少ないらしい。

しかし葬儀会社で、布団の貸出もしてくれるしホールの隣の部屋に泊まれることも
わかったので、泊まらせてもらうことにしました。
従姉妹も遠方から来てくれるので、一緒に泊まることになりました。

後やらなければならないのは、火葬がすんだらお骨は家に持ち帰るから
その為の家の中の準備。

散らかりほうだいの家の中、なんとか少しでもきれいにしなければ。
あちこち片付けるも、時間がかかる。
夜中になって疲れて、着替えもしないまま寝てしまう。




4月17日(水)通夜当日。

朝、目がさめてからさすがにこれでは、と思い入浴。
夕方手伝いの従姉妹も来てくれて、二人で葬儀会社のホールへ。

ご住職も到着。
通夜も執り行われる。
親戚は、もう一人従姉妹が来てくれただけ。
母のきょうだいは三人いるのですが、皆さんお年で足腰が悪くて
来られないとのこと。
つまり親族は私以外は二人のみです。

後は私の職場の人が来てくれました。


通夜の料理は5,6人前で用意をしたのですがこれでちょうど良かったです。

話が変わりますが、私が以前アパートで一人暮らししていたとき、隣の一人
暮らしの年配の女性が亡くなり、ドアに通夜のお知らせが貼ってあったので
その会場へ行ったことがありました。
少しはご縁のあった方ですから。
会場に来ていたのは、その方の息子夫婦らしい方だけ。
お料理が2,30人分は用意されまったく手つかずになっているのが、
とても寂しかったです。


通夜も終わり、従姉妹といったん家に戻って入浴。
(ほんとなら近所の銭湯に行きたかったのですが、この日は休みでした)
その後、ホールに戻って休みました。

しかし私、先日ぎっくり腰になってから夜は1,2時間すると目がさめ
熟睡できない日々が続いています。

変に思われるかも知れませんが、目がさめては、隣のホールに安置
されている母の顔を覗きに行っていました。
次の日にはもう顔が見られなくなるのですから。

見てるうちに目が開きそうな、そんな感じがするくらい母の顔は穏やかでした。





4月18日(木)告別式当日。

この日はもうほとんど来る人がないのが分かっていました。
親戚は来ないし、職場の方も一人来るだけ。

告別式では初七日法要も一緒にしていただきました。

でも喪主の挨拶は、簡単ながらさせてもらいました。
そして霊柩車で松戸市斎場(火葬場)へ。

松戸市斎場は、父の葬儀の時にも来てるはずですがなぜかほとんど
記憶がありません。

炉前でご住職がお経を上げてくださり、棺は炉の中へ。
ご住職はこれで帰られました。


その時間帯では我が家の他には、3件くらいの葬儀があったようです。
待ってる時間、売店の方とちょっとお話を。
やはり土日は葬儀が多く人も多いのかと思い、聞いてみると今では「家族葬」の方が多いとか。
つまり人は少ないらしい。

約1時間で収骨。
私と従姉妹が箸を使って、骨を骨壺へ。
係の方が、頭の骨は事前に取り分けておいてくださり、それは一番上に載せました。

タクシーで私と従姉妹は家に戻り、その後葬儀会社の方も来て
遺骨を安置する後飾りの祭壇を作ってくれました。

これでやっと一通り終わりました。

従姉妹が帰るので、見送りがてら私も駅まで行き、ついでに整骨院へ
よってマッサージをしてもらいました。

そしてこの夜、私は初めてのことをしました。
家にいるのに一人で外食したのです。
外出したときや、一人旅に出たとき外で食事をすることはありますが
家にいて一人で外食なんて初めてです。
たまにはいいかも、と思いました。

母がいると分かって一人で家で食べるのと、母がいなくて家で一人で食べるの、
なんだか違うのですよ。気持ちが。



どうなることかと思いましたが、終わってみればあっという間の通夜&告別式でした。
posted by みどり at 23:18| Comment(2) | 母の葬儀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

母が亡くなった4月15日の事を

4月18日(木)に母の告別式も無事終わりました。

今日は庭を見るとまったく手入れをしてなかったのに、牡丹の
(シャクヤクだったかな?)花が咲いていました。
手入れしてないから、さすがに小さいです。
手のこぶしくらいの大きさ。


2013年4月19日 庭の牡丹


まだやることは山積みですが、一区切りつきましたので
ここ数日のことを書き留めて行きたいと思います。


思えば、母の介護をしだして約10年となっていました。
仕事もしていた私一人の手に負えなくなり、市の介護福祉課の方から
「もう一人じゃ無理ですよ」と、言われて母をグループホームに入れたのが
2005年12月でした。

その後、有料老人ホームに転居、その施設が閉鎖になることになり同系列の
別の施設に転居。入院をきっかけに、さらに私が働く別の有料老人ホームに
転居に転居したのが2011年9月でした。



4月15日(月)
母の朝食介助をするも、ほとんど進まず。
とろみをつけた水が150ミリリットルと、エンシェアゼリーを少々。

午後1時過ぎに昼食介助を始めるも、やはりほとんど進まず。
(食事は車いすに乗って、食堂へ移動して食べます)
目もつぶったまま。
それでもスプーンで水を飲ませていましたが、無理してもしょうがないから
止めておこうか、と思ったとき母はまるで「うーん」とうなるような感じで、
動きが止まって頭が斜めに傾きました。

喉につまらせたのか?
でもいつもとちょっと様子が違う。
すぐにナース長に報告。
ナース長から母を連れて部屋へ行くようにと言われ、急いで車いすを押して部屋へ。
ナース長は吸引の道具を持ってすぐ来てくれました。
母の鼻にチューブを入れつつ、私に「聴診器を持ってきて」というので急いで
ステーションに戻って聴診器を持っていく。
ナース長から「脈がふれてないよ」「もう心臓が止まってる」と。

母は、私の目の前でほんとにスッと逝ってしまいました。
この時はもう午後1時半を過ぎていたと思います。
その後は、母と部屋にいるようにといわれ、ベッドに寝ている母のそばにイスを
持ってきて座っていました。

出かけられていた主治医が来てくださったのは、午後3時過ぎ。
母を診てから私に「よい親孝行を、されましたね」と言ってくださいました。

東京本社の会議に出ていた施設長も戻ってくる。
施設長から、葬儀の事をどうするかきかれるも葬儀会社のことは
決めていなかったので、施設長が教えてくれた近所の葬儀会社へ電話をいれる。

母の遺体は家に置けないので、葬儀会社に安置してもらうことにする。

昔、父が病院で亡くなったときは家に連れて帰り、家で通夜もおこなった
のですが、なにぶん小さな家なので場所的にとても大変だったのです。
祭壇こそ家の中に作りましたが、参列される方は外にイスを置いての対応でした。
それ以来、母は自分の葬儀は別の所でやるように、と言っていました。

葬儀会社の人が施設に遺体引き取りに来る時間も決まり、ナース長、施設長、
私の三人で母の体を暖かなタオルで清拭することにしました。
この施設ではご利用者さんが亡くなると、ナースと施設長で体の清拭を行うのですが、
今回はナースが声をかけてくれたので喜んで私も参加させてもらったのです。

そして、いったん家に帰って持ってきた母の服を着せました。
これは前任の施設長から、この施設に移転したばかりの時に亡くなった後で着る
服を早めに用意してあげる方が長生きする、と言われてケースに入れて置いていた
ものでした。
白いリボンタイのブラウス、黒い(でも少し銀糸が入ってキラキラ)スーツの上着とスカート。
これは昔、母が勤め人時代によく着ていた服でした。
この服にしたのもやはり前任の施設長から「お母さんなら、バリバリ働いていた頃の
服がいい」と言われたからです。
また新品を用意するものではない、とも言われていました。
寝たきりになってから、靴も無かった母ですが最後の「旅立ち」に靴がないのでは
かわいそうなので、新しいのを買って服と一緒に用意してました。
下着のシャツ、靴下とストッキングも新品を用意。
でもむくんでいた足にこれははけないので、以前からはいていたフワフワの靴下を
はかせる。

ナースは母の体の鼻や肛門に脱脂綿も詰める。
下履きは施設で用意されたT字帯をつける。

体の拘縮が強かった母ですが、なんとか服を着せました。
剥き出しの足は内出血部分が多くて、見た目ひどいのでタオルを捲きました。
本来なら黒い上着を着るところですが、拘縮した体には窮屈そうなので
足元にかける形にしてもらいました。

そして顔にお化粧を。
施設で用意してあった化粧道具を使いましたが、口紅だけは私が使っている
ものをつけました。
施設長に言われて頬紅を頬だけでなく、瞼にもつけるとなんだかとても表情が明るくなる。

葬儀会社の方も来た。
母と一緒に車に乗って、葬儀会社へ。
母は安置され、私は別室で担当の方と今後の相談。
近所の方に連絡するつもりがなかったので、規模は小さなプランで
行うことにしました。
一番安いプランでは「家族葬」があったのですが、なんかそれでは・・・
という気持ちもあり次のワンランク上のプランにしておきました。
(最終的には、家族葬でもよかったかなと思いましたが)


いったん家へ帰ってから家のお寺(=菩提寺)に電話するも、留守電。
ご住職のご都合は私が確認することに。
連絡のつく親戚にも電話をいれる。

葬儀会社の方が火葬場の空き状況を確認しておくとのこと、さらに翌日
病院へ死亡診断書もとりに行ってくれるとのことでした。

夕飯は、近所のスーパーで買ってきた物で済ませ、葬儀の
日取りが気になりつつも疲れて寝てしまいました。

続きはまた、後ほど。




<2013-04-21追記>
この日は、朝食後母を他のスタッフの手を借りて部屋のベッドに横に
してから母のオムツ交換をしました。
自分がぎっくり腰をやってしまい、まだ少し腰が痛かったのですが
他のスタッフも手を貸してくれたので、二人でオムツ交換をしたのです。

右肘の傷、背中の傷もきれいに洗い、新しいポリパットも当てる。

この日、このことが自分でできたのはとても良かったです。
悔いのない介護ができたと、ほんとに思います。


posted by みどり at 20:49| Comment(2) | 母の葬儀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。